国語の文法、どこまで必要か?その4/必要なのは要約力と、確実な表現力。

国語の学習というのは、結局のところ、要約力と表現力が肝心だ。

要するに、あらすじ(幹)とディテール(詳細、枝葉)を峻別、つまりハッキリ分けて、認識する。
そしてそれを、別の簡単な言葉に置き換えて、他人に説明出来る能力。これでしょう。

ここのところを外すと、なんのこっちゃか、わからなくなります。

そしてそのために重要なのが、主語と述語の認識です。

誰が、----どうした。

これを常に意識しないと、話になりません。

でも、日本語では、主語というのはドンドン脱落するんですね。


古文が難しいわけ

私の場合、理系で大学受験の際に古文が必要なかったせいもあって、古文がものすごく苦手です。というのも文法がどうとかこうとか言うよりもまず、古文というのは主語が掴めない場合が多いからです。

1つの文章に3つくらいの人間の行動や言動が表現されているのに、それぞれの行動主体が誰なのか分からない。

都の貴族がいて、従者がいて、通りすがりのモノがいて...、それらの行動を主語なしで
●●の、●●したりけるを、●●が、...と続いていくわけです。

物語をはじめから読んでいる人には、登場人物がどういう人間で、それに対する言葉遣いはこうだということは分かるわけですから、主語がこういう風に脱落していても話の筋はわかるんでしょう。

ところが試験で、ある一部分だけを取りだして問題を出されたら、行動主体がだれなのか区別する鍵やヒントは、文法の知識・つまり敬語とか謙譲語、貴族しか使わない言葉しかないってことになるわけです。

もちろん、その物語が書かれた当時の人間関係や社会の常識の知識も必要ですし、どういう背景なのか推測出来るだけの強要も必要です。

主語と述語のセットがみつからないと、ホントにもう、誰が何をしたのかすら分かりません。

でも、国語が苦手な子どもというのは、現代文でも主語と述語をつかみ損ねているんですね。

そして主語と述語をワンセットにして話したり書くと言う訓練も、あまりしていません。

ここのところが結局、要約力とか記述力の欠如の淵源なわけです。


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