国語の成績が悪いのは(17)評論本は飽きる
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評論文の読み方としては、著者が何を言いたいのか、何を訴えたいのか、それを突き止めることが重要になる。
たとえば藤原 正彦さんの「国家の品格」では、「日本人は品格があるのだから、日本の伝統を大事にしろ」
ってことが、100ページ以上にわたって主張されている。
また養老孟司さんの「バカの壁」では、「人間は、本当のことや真実が理解出来るとは限らない」
「人間は、自分の脳の中にある常識や物差しでしか、世界を計れない」
ということを、いろんな例を出して延々主張されている。
「だからバカにこちらの意見を伝えることすらできない」。
本一冊分の何万文字という文字を使って、そういう一つか二つのことを、ずっと述べているわけだ。
だから著者の主張が読みとれてしまうと、本の残りなど読まなくても、結論は分かってしまう。
この辺が評論文の面白くないところなのであるが、読むのが面倒になり、最後まで読む気が続かないことも多い。
というのも著者の主張(言いたいこと)は、第一章の終わりくらいには見え始め、章が進むに連れて何度も繰り返されるので、勘のよい人なら前半で分かってしまって、後はどうでもよくなってしまうからだ。
繰り返し繰り返し、同じ事を言っているわけだから、「飽きる」のは普通のことである。
スリルもなければサスペンスもない。
後半いったい何が出てくるのか、そう言うドキドキ感はなくて、最後まで読み通せない。
この辺が評論文の勉強の難しいところだ。
評論本は、何冊か読んでおくべきか?
評論本なんかは、絶賛されても必ず
「面白くない」というひとがたくさん出てくる。
メガヒットした「バカの壁」ですら、「途中で飽きた」とかいろんな文句が出てくる。
評論というのは、著者の主張や性格で、繰り返し同じコトが出てくるのが当たり前だから、こういう文句が出てくること自体、読み方が分かっていないってコトかも知れない。
他にも、評論本が読みにくい理由がある。
というのも著者の意見が、自分の意見や先入観と全く正反対であれば、だんだん読むのが苦痛になっていくので、途中で読めなくなる。
自分なりの意見を持つことは大事だけれど、自分の考えが絶対正しいと思っている人には、評論文は辛い場合があるわけだ。
だからたまに、「合格したいなら、この本を読め!」
なんて感じで受験雑誌に評論本がリストアップされたりするが、基本的に読めるもんじゃない。
読んでもすぐ飽きるし、子供向けでもない。
中学入試に備えるなら、過去問や問題集の長さの文章くらいで十分やね。
私も大学入試の時に、吉本隆明(吉本ばななの父)とか、小林秀雄とかの本を何度か読んだが、すぐに飽きたし。
唯一読めたのは、「相対幻論」っていう
栗本真一郎さんとの対談本くらいだったかな?
残念ながら、今は手に入らないようだが。