言葉に命を吹き込めるか?辞書調べが必要なわけ
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国語の学習で、辞書調べは、かなり重要なステップだろう。
というのも、言葉を覚えたら、次はその言葉のイメージがつかめるか、というところが肝心だからだ。
これは、英語の学習で考えればよくわかる。
英単語を覚えたとき、その単語が日本語にある単語の場合は理解は速いが、そうでない場合はなかなか理解できない。
名詞の場合はまだ難易度は低いが、動詞の場合はかなり難しい。
たとえば、「見る」と言う言葉は、日本語では全て「見る」で表すが、英語だと中学英語でも
- look
- see
- watch
という三つの単語が登場する。
lookは「目を向ける」、seeは「目に入る」、watchは「動くモノを見る・見張る」と言う意味を表しているが、和訳するときは「見る」になってしまう。
その他にも
- glance(チラッと見る)
- gaze(じっと見る)
というのも良く出てくる。
これだって「見る」と言う言葉に「チラッと」とか「じっと」という副詞をつけただけで、日本語の動詞自体は「見る」になる。
だからこれをただ機械的に覚えても、全然意味はない。
それがどういう動作なのか、それがパッと頭の中にイメージできないといけない。
たとえばlookと書いてあったら、そっちの方に目を向けた、と言うイメージが浮かばないといけない。
seeと書いてあったら、目を向けたんじゃなく、他のことをしていて目に入ったんだな。
watchなら時計とか、何か動いているモノを見ていたんだな。
こういう風に思い浮かぶようになって、ようやくその言葉に魂が入ったことになる。
読書量が、国語の学力を決める
これと同じことが、国語の言葉調べにも起こっている。
つまり熟語は覚えても、それがどういう状態を表しているのかイメージができないと、文章を読んだときにその状況を頭の中にイメージできない。
状況を頭の中にイメージできないと、当然、状況の判断は狂う。よって正答にたどり着けないということになる。
つまり、いくら漢字の書き取りができたとしても、それが何を意味しているのか、頭にパッと思い浮かばなければ、言葉は単なる音でしかなくなる。
言葉に魂が入れないと、いけない。