学校任せ、塾任せ、は、ダメな親の見本
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勉強ができる子供と、できない子供をながめてみると、家庭できちんと教育されているかどうかが、ぼんやりと見えてしまう。
家庭できちんと教育されいる子供の場合は、たとえ学習障害の気が多少あっても、読み書きや計算がきちんとできる。
大きな発達障害が伴わない学習障害の場合、家庭での教育がきちんとしておれば、おそらく、かなり良い大学まで進学することができるだろう。
逆に、学習障害がある場合、家庭での教育がしっかりしていないと、中学や高校で落ちこぼれることになる。
学習障害というのは、外見や素振りから
「この子、おかしいな」というのが見えない。
が、勉強をやらせてみると全然できなかったり、基本事項がまったく理解できていなかったりする。
「速さ」とか「濃さ」とか「人口密度」とか、こう概念が理解できない子供は、意外に多くて、根が深い。
付きっきりで指導しても、何のことだかよく分からないようだ。
まあこういう概念は、人間が色んなモノを計るために、勝手に作った「目安」であるから、自然現象ではない。
目に見えるものでもないし、触れるものでもないから抽象的で、これを理解できる方がおかしいのかも知れない。
私は理系人間だから、こういうのは単なる目安であって、人間が便利だから勝手に決めて使っていると言うことは知っている。
デファクトスタンダードというやつで、たとえばパソコンのソフトウエア(プログラム)でも、マイクロソフトのワードとか、一太郎とか、ロータスだとか、色々たくさん登場したけれど、結果的に多くの人が採用したワードが標準になった、、と言うだけの話だ。
だから「速さ」とか「濃さ」とか「密度」というのは、とにかくなにか目安がないと比べられないから便宜上作ったもので、1メートルとか1グラムと言った単位だって、そうなんだ。
なので、何もしないでこういう事が理解できる子供は天才で、普通の子供は練習しなければできるようにはならない。
そう言うことが分かって家庭教育に力を注いでいる家庭と、学校任せ、塾任せで、何にもしないそうでない家庭とでは、子供の学力や成績は、天地ほども差ができてしまうわけだ。