東大生のノートはいつも美しい?
更新日:
『東大合格生のノートはかならず美しい』という本、最近書店で、平積みされている。
コクヨとの共同企画で、ドット入りノートというのも作られているが、あれを見て、ちょっと考えた。
「これって、一ページ書くのに、何分くらいかかっているんやろう?」と。
たしかに、ノートを自分なりにうまく整理して、きれいに書けていると思う。
だけど、勉強がそこそこの子どもでも、かなりノートをきれいに作っている人というのは、たくさんいる。
たいていは女の子だけれど、きれいに色分けしたり、ダイナミックにノートを作ったりしている。
しかし、見ていると、ノートを作っている時間が長いんだよね。時間がかかりすぎる。
そしてもう一つ違う点がある。
東大生は、ハッキリした目的を持ってノートを作っている。
そしてそれは少なくとも『きれいなノートを作るという目的ではない』ということだ。
もう一度見たとき、自分にとって要点が見やすいとか、自分にとって暗記するときに使えるとか、自分にとって忘れやすい公式の導出過程がわかるとか。
そういう『自分で使うために、自分向けにカスタマイズ』して、自分のノートというのを工夫して作っている。
変な話、自分用のトレーニング器具の1つとして、それを作っている。
つまり彼らの頭の中では、自分にとって何が必要で、何があればよいか、わかっているわけだ。
ノートがきれいになるのは、自分で見やすくなるように工夫する心があったから
だから、ノートが必要ないと考えている人は、テキストでも問題集でも、何にでも書き込んだりしているし、きれいなノートを作っていない人もいるはずだ。
参考書に付箋を貼って大事なことを書いたり、問題集にもいろんな独自の印を付けて、テスト前は必ず復習するって決めていたりする。
つまり、彼らのノートがきれいなのは、東大合格者の『工夫する心』があってこそのことであって、形をマネしただけではどうしようもない。
英単語を覚えるのに、単語カードを作るヤツもいるし、単語のリストを作るヤツもいる。
はたまた単語本にいろいろ書き込んで、それを見ながら覚えるヤツもいれば、ボイスレコーダーに吹き込んで聞きながら覚えるヤツもいる。
自分にとって、覚えやすい方法を工夫したり、見つけたりするやつが、東大に合格するのであって、マネをするヤツはダメだと思うが、どんなもんだろうか?