首都圏模試、国語は結局、言葉力
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12月の首都圏模試の結果が、戻ってきた。
最終回の今回は、3文字熟語や、かなりマイナーな慣用句も出ていて、基本的な語彙しか覚えていなかった子どもは、ちょっと点数が取りにくかったかも知れない。
出る順で言うと、CランクとかDランクのプライオリティ(優先順位)にあるような熟語や慣用句だったから、言葉力が中位レベルの子どもでも、点数が多少低めに出たようだ。
そして、基本的な語彙も怪しい生徒は、ドーンと偏差値が下がった。
おそらく、書き取りのみならず、本文の文章中の言葉や、選択肢にある言葉も、理解できなかったのだろう。
今回も一問目は説明文で、やや抽象的な言葉も多かったので、熟語としては見たことがあっても、それがどういうニュアンスを持つのかまでは、わからなかった子どもも多い。
だから、地道にボキャビルに取り組んで、さらにたくさんいろんな文章を読んできた子どもには良い点が取れた。
が、一方、書き取りは書き取り、読解は読解だと侮って、時間のかかる面倒なボキャビルをサボった子どもは、書き取りや言葉の問題でも、文章の読解でも、ろくな点数が取れなかった。
結局国語は、言葉に始まり、言葉に終わるってコトのようだ。
英語で考えれば当然だけど...
英語で考えると、言葉(単語・熟語・慣用句)と文法は、理解の両輪だ。
言葉だけを知っていても、文章だけを知っていても、どちらにしてもちゃんとした英語にはならない。だから文章も言葉もシッカリ努力して覚える必要がある。
ところが日本語の場合、普段から使っている言葉だから、言葉を甘く見る。小学校で習うような言葉というのは、まだまだ抽象度が低いので、特にそうだ。
しかし、中学受験ともなると、気持ちや感情などを表す言葉が多い。説明文だと、抽象的な言葉や専門用語も出てくるから、さらに抽象度が増す。
中学受験の国語は、子どもに道徳を求めている...という指摘があるが、それはつまり、他人の気持ちや感情を理解するということだから、どうしてもそう言う言葉が多くなる。
気持ちや感情というのは、モノではないから、抽象度が高い。
テレビやパソコンというのは、目に見えるから具体的だが、心や気分、モノの考え方というのは、目に見えないものだから、わかっているようでいても、なかなかわからない。
抽象的な言葉というのは、抽象的なイメージが頭の中にできあがるまで理解できないわけだから、覚えるまでにどうしても時間や段階が必要なんだね。
だから、抽象語を習得するには、非常に地道な作業をくり返さないといけない。
字面だけ覚えても仕方がなく、言葉を覚えて、それを文章中で発見しないといけない。
漢字ドリルだけで覚えるのではなく、文章中で何度か言葉に出くわして、その結果として
「ああ、そういう気持ちなのか」
「ああ、そう言う風な考え方なのか」
と言う風に、言葉のニュアンスや、使われ方を1つ1つ理解していかないと、ダメなのだ。
だから具体的な言葉を覚えるのと、抽象的な言葉を覚えるのとでは、努力の必要量が相当異なる。
抽象語を覚えるには、具体的な言葉の何倍もの努力が必要なんだってことが、わかっていないといけない。
ところが言葉というものを甘く見て、真剣に取り組んでこなかった子どもは、練習量が全然足りずにろくな点数が取れなくなる。
抽象的な言葉に、自分なりのイメージができていないのだから、読めるだけでは、何にもわからない。
抽象語を覚えるには、地道な作業無しではどうしようもない。
入試直前でも、やっぱり基礎固めをやり直すしかないし、短い文章で良いから、抽象的な言葉の多いモノをたくさん読むしかないだろうね。
ただ、デキナイ子どもにとっては、かなり辛くて退屈な作業になることは、請け合いだけど。