国語の問題は、失敗作が多いと思った方が良い
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国語の入試問題や模試の問題を見ていると、どう考えても失敗作だと思える問題がよくある。
そう思うのは自分だけかと思って他の先生に聞いてみると、やっぱりおかしいという。
何しろ、答えに一意性(いちいせい)がないのだ。
一意性というのは、数学では重要な概念だけど、要するに、「その答えでなくてはいけない」と言う事だ。
なぜその答えになるのか、なぜそこでそんな言葉が出てくるのか、国語の場合、その理由がハッキリしない事が多い。
4択問題でさえ、消去法でなければ正答にたどり着けない事も多いのだから、どうも疑ってしまう。
これって結局、問題作成者の好きな言葉とか、殆ど『個人語』じゃなかろうか?
大学入試センター試験より、中学入試の国語の問題の方が難解
国語で題材として使われる文章というのは、著者の『個人語』があったり、論理構造が見抜きにくく、難解な文章だ。
表現しにくい概念や感情を言葉にしようとすると、どうしても難しい言葉を使ったり、新しい言葉を作って使わざるを得ないのも、確かだ。
また科学や技術など、専門用語を使って説明しようとする場合もある。
こういう場合は、一つ一つの言葉の意味が難解なので、それを解きほぐす作業が必要になる。
なので
難解な文章 → 平易な文による解答
なら、文章を読み解いたと言えるだろうが、
難解な文章 → 難解な文による解答
になっていたりすると、一体何をしているんだってことになる。
これだったら、難解な言葉を知ってる者が勝つという話で、ただそれだけの話になってしまう。
内容を問うているのに、答えや選択肢が難解では話にならない。
大学入試センター試験より、中学入試の国語の問題の方が難解だと感じるのは、私だけだろうか?
逆に、難解な熟語はあまりないが、世間的な常識や一般の人の「思い込み」を正すような文章も多い。
そのため、問題文が易しかったとしても、常識的なセンスを持つ子供にとっては、答えにたどり着けないこともある。
世の中には、様々な人間がいて、様々な価値観を持つ人がいるんだよ、というのを学ぶのも、国語の目的の一つだ。
なので善悪で考えると問題があるような主張でも、それなりに受け入れることが出来る子供でないと、こういうタイプの問題は難しいね。