国語の成績が悪いのは(25)言は意を尽くさず、書は言を尽くさず
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国語の問題を解くには、文章の分析力がないといけない。
特に素直な子供には、なかなか解けないようにできている。
小説や物語文では、登場人物に感情移入してもいいが、それだけでは正答にたどり着けない。
感情移入すると解けなくなるような問題も用意されているから。
論説やエッセイなどは、筆者の意見に賛成しても良いが、そういう常識的な文章はたいてい出ない。
たいていは違和感を覚えたり、世間の常識を疑うような主張の文章が取り上げられるから。
そして読んだらすぐに理解出来るような文章も出ない。
分かりやすい文章は、入試問題にしにくい。
みんな百点取ってしまうような問題だと、合否の判定ができないし。
入試問題に使われる文章というのは、使われている単語が抽象的で、理解しにくい文だったり、直接の心情描写が無くて、言動や仕草から心情を読みとる必要がある文だったりする。
つまり言っていることがややこしいか、文章自体が状況描写を中心にしていて、心情描写を隠しているような文章ってことになる。
だから素直に親の言うことを聞くような子供より、言葉の裏を読んだり、「ホントかな?」と思うような子供の方が
実は文章がちゃんと読めていたりする。
文章で全てを表現することはできない
中国のことわざで、「言(げん)は意を尽くさず、書は言を尽くさず」というのがある。
言葉は、伝えたい気持ちを全て表すことができないし、また文字も、言いたいことを全て書き留めることができない
と言う意味だ。
言葉というのは、伝えたいことを
100%伝えられるツールではないからこそ、だからいろんな人がいろんな表現方法で、伝えたいモノをみんな伝えようとするわけやね。
だから、書物を読むときには、作者・著者は、一体何を表現しているんだろうか?
と考えながら読む必要がある。
しかしこれは、自分で文章を書いた経験が少ないと、なかなか気が付かないし、腑に落ちないものでもある。
私もこれまでメルマガを山ほど書いたり、自主製作本などを作ったりもした。
が、書き直しても書き直しても、伝えたいこと・伝えたい感覚・伝えたい雰囲気・伝えたい気分、そう言ったことを正確に、うまく書けることはまれで、半分は読み手の能力に頼らざるを得ないなとあきらめた。
書き手は、表現方法を色々試してみて、一番良いと思う、あるいはベターだと思う言葉だけを残す。
適当に文章を書いているわけではない、書き殴っているわけではないと言うことを
知っているかどうかでも、文章の読み方は変わってくる。
小説家を目指している子供や、シナリオライターを目指している子供が、国語が得意であるのは、そう言う意味で当然のことだろうね。