国語の問題が難しいわけ。
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中学受験の模試などをみると、国語の問題が難しすぎるな、ということがよくある。
エッセイや論説文などの場合は、大人向けに書かれた文章を使っていることが多いので、抽象度が高く難しいのは確かだ。
だが、物語文も、実は難しい。
題材こそ、小学生の身近な話を取り上げているが、他人に興味のない子どもや、感情に起伏のない子どもの場合、物語文の中に登場するそれぞれのキャラクターの感情の起伏が、よくわからなかったりするのだ。
とは言っても、国語の問題というのは、もともと難しいものなのだ。
なぜかというと、物語や小説の一部だけを問題文として取り上げているわけだから。
これは古文の問題などにも言えるが、物語や小説の場合は、登場人物のキャラクターや性格というのは、物語の序盤から徐々に説明される。
徐々に説明され、キャラクターが何となくわかってきた時分に、何か事件が起こるわけである。
ところがテストの問題文というのは、その事件のところだけ抜き出して、小説だったらすでに性格やキャラクターがハッキリしている人物について、その短い部分だけで想像させるわけである。
失敗問題は、意味不明
だから、問題の作り手によって、出来不出来がハッキリする。
問題を作る側は、物語の全体を当然読んでいるので、登場人物の性格やキャラクター、そして置かれた立場なども知っているが、それを元に設問を作ったら、問題文中にないところからしかわからないことも、入ってしまうことがあるのだ。
そういうことになると、その国語の問題は失敗問題と言うことになってしまう。
なぜならそういうことは、問題文中からはわからないから。
国語の設問で、なぜこんな単語が出てくるのだろう? と思ったら、たいていは問題文以外のところにある文章から単語を拾ってきていたりする。
そして物語文での登場人物の行動や言動は、それ以前に確立しているキャラクターがあってのことだから、問題文中からそれを読みとるのは、かなり難しい話なのだ。
となると、国語の問題というのは、「当てモノ」に近くなっていく。
変な話、微妙な場合はもう「当てモノ」だ。
だって、元々わからないんだものね。選択肢などは、雰囲気で選ばないといけなくなる。
そして上位の学校の場合は、一見変な答えが正答だったりする。
10年以上前に、「国語・例の方法」という本が流行ったが、本文を読まずに選択肢を先ず読んで、1つ毛色の違った選択肢があったら、それが答えだったりする。
国語の問題って、やっぱり難しいね。